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ヒドリ


賢治の遺品「雨ニモマケズ手帳」に綴られた『雨ニモマケズ』の詩、
仕事の合間に思い浮かんだフレーズは溜まり、やがて詩に成長する。
賢治は楽しい思い・辛い思い・苦しい思い・悲しい思いをしたと思う。
己が苦しければ、他人の苦しみにも思いが及ぶのが詩人・菩薩です。
詩人の思いは、弱い人・虐げられている人への思いとなって膨らむ。
その思いが頂点にまで膨らみ・結実して産声は元気にあがるのかも。

推敲半ばに病に倒れた賢治を偲ぶ人たちの思いが詩を蘇らせたのか。
早産児が力なきが如く、この詩も完ぺきとは言えないかも知れない。
良医は未熟児を貶す事なく・その命をつなぎ留め・育てようとする。
その未熟児の母が懸命に耐え・戦ったことを誉めて労い・祝福する。
その母の想いを我がモノとしてこそ、赤子の力を引き出せるのです。
未熟児という事だけで外科手術するのは理に合わないと思うのです。

『雨ニモマケズ』は「ヒドリ」をそのままに置くのが好いと思った。
その上で「ヒドリ」が致命的な欠陥だとなれば外科手術も必要かも。
詩『雨ニモマケズ』に「ヒドリ」が使われてはならないのだろうか。
「ヒドリ」が気に入らないだけだという文学者はいないと信じたい。
その答えを得るために、批判的立場の人の言葉にも学ばねばならむ。
そう考えて、そして辿りついたのが入澤康夫氏が展開する持論です。

入澤康夫氏の論については次のHPに明らかです。
 宮沢賢治学会イーハトーブセンター

読み進む都合上、次下に入澤康夫氏の件の論のコピーを載せています。
なお、私の疑問・意見は本文末尾「★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★」以降に記載しました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


    【入澤康夫氏の『ヒドリ』誤まり論】

・文頭の(数字)は、読みやすくする目的で私が振ったものです。



(1)もう十三年前、一九九二年の初めに出た「宮沢賢治」誌十一号に、私は「賢治の『誤字』のことなど─『ヒドリ』論議の決着のために」という小文を発表して、「〔雨ニモマケズ〕」中に賢治が書いている「ヒドリ」は「ヒデリ」の書き誤りであり、その点では過去の諸刊本がこれを「ヒデリ」と校訂してきたのは正しい処置であったと述べた。実際、この問題に関しては、学問的には、当時すでにはっきりと答えが出ていたのであり、もはや論議の余地は無いと考えるに到っていた。

(2)ところが、一般社会では、この問題をとりあげた大新聞の記事の力もあってか、いまだに「ヒドリ」が正しく「ヒデリ」に直すのはよろしくないと、思いこんでいる方々もかなりあるようだ。そしてそれが、場合によっては、大きな弊害さえ生みかねない(現に生んでしまってもいるらしい)ことを知って、心を傷めている。

(3)そこで、編集委員会の依頼もあり、前記十三年前の拙文の要旨を、以下に抄出して、読者の皆様に今一度、問題の本質を確認周知していただきたいのである。

(4)その度合いの多い少ないはあるにしても、どんな物書きでも書き誤りはある。「弘法も筆のあやまり」という諺さえあるぐらいだ。筆の勢いでつい誤った字を書いてしまう、あるいは必要な字を抜かしてしまう、といったことに関しては、宮沢賢治にしても例外ではない。

(5)平仮名で「ほんたう」と書くとき、賢治はときどき「ほうたう」と誤記している。これは、原稿を書いているとき、手より頭の方が先回りしすぎて、一字または二字先に書くべき字を書いてしまうという傾向──これが賢治にはきわめて顕著である──の結果であろう。たいがいは、書いたとたんに気がついて、抹消して、正しく書き直しているが、気づかず、そのままになってしまうものもある。

(6)こうした「書き誤り」についての論議で、ここ十年間の、もっとも顕著な例は、あの「〔雨ニモマケズ〕」中の「ヒドリ」の二字にかかわる一さわぎであろう。手帖の一冊に記されたあのあまりにも人口に膾炙した章句(作品?自戒自省のメモ?祈り?)の中の、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
の箇所で、賢治は実際には「ヒデリ」を「ヒドリ」と書いている。これを、これまでのすべての刊本では、「ヒデリ」の書き誤りと見て校訂し本文としている。そして、そのことはけっして秘し隠されていたことではなく、すでに手帖そのものの複製や、当該数ページのファクシミリ等も世に出ていたし、『校本宮澤賢治全集』でも、校訂した上で事実を明記していて、その意味では、世に公開されていたわけである。

(7)ところが、「ヒドリ」は誤記ではなく、このままで「日傭いかせぎ(の賃金)」のことを言う方言なのだ、これまでの諸刊本の処置は誤っている、「ヒデリにケガチ(飢饉)なし」というくらいで、ヒデリは農民にとって不都合なことではない、ということを言い出した方があり、ある大新聞がそれにとびついて、全国版社会面のトップで大きく扱い、しかも原文が「ヒドリ」であることをこれまで不当に隠されていたかのごとき印象を与えるセンセーショナルな書き方をしてしまった。しかも、何人かの人々が、ろくに考えもせずに、この新説を支持する言辞をジャーナリズムの需めに応じて発表した。そのため、事ははなはだ面倒なことになって、記事の扱いの大きさなどから言って、世間一般では、「ヒドリ=日傭いかせぎ」説の方が正しいとまでは思い込まないにしても、論議は五分五分の形で、いまだにケリがついていないくらいに考えられているようだ。さらに副産物(?)として、「文学作品本文は、いっさい作者の原稿通りであるべきだ」といった趣旨の、俗耳には入りやすいが、実は暴論としかいいようのない発言もとび出す始末で、情けない限りであった。

(8)しかしながら、この問題については、前記新説の成り立つ余地は限りなくゼロに近く、逆に従来の(「ヒドリ」を「ヒデリ」の誤りと判断して本文では校訂する)立場は、確かな根拠(内容から言っても、本文批判的立場から言っても)がいくつもある。「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらないこと。賢治が、いくつもの作品(「グスコーブドリの伝記」ほか)で、常に「夏の寒さ(冷夏)」と「ひでり(旱魃)」とを、農家が困ることとして扱っていること。それが最も端的に書かれているのは、「グスコーブドリの伝記」の下書稿に当たる「グスコンブドリの伝記」の第七章冒頭部であろう。そこには、次のような対話が出てくる。
「ブドリ君‥‥‥沼ばたけ(水田)ではどういふことがさしあたり一番必要なことなのか。」
「いちばんつらいのは夏の寒さでした。そのために幾万の人が飢え幾万のこどもが孤児になったかわかりません。」
「それは容易なことでない。次はどういふことなのか。」
「次はひでりで雨の降らないことです。幾村の百姓たちがその為に土地をなくしたり馬を売ったりいたしました。」
 また、賢治の詩稿の一つ「毘沙門天の宝庫」では、「旱魃」に自分でルビをつけようとして、まず「ひど」まで書いて、誤りに気付き、「ど」を消して、「でり」と改めて続けている現場が見られる。これなどは、賢治が「ひでり」を時として「ひどり」と書き誤る傾向があったことを示しているし、また、「グスコーブドリの伝記」の生前発表形(昭和七年に「児童文学」に掲載)でも一カ所、旱魃の意味の「ひでり」が「ひどり」となっているところがある。これなどは、印刷上の誤植というより、元原稿そのものの誤りがそのまま活字化されたものである可能性が高い。

(9)こうした点については、すでに雑誌「賢治研究」五十三号(一九九〇年十一月)に平沢信一氏の明確な指摘があり、私もまた一九九〇年秋に池袋で行われた賢治フォーラムの席上で、資料のコピーを添えて説明し、その要旨は、やはり「賢治研究」五十四号(一九九一年二月)に載ったが、同誌は研究会の会誌として一般の目に触れにくいと思うので、ここに、今一度記した。

(10)話は、冒頭にもどるが、どんな物書きでも書き誤りはする。諸々の証拠に照らして誤りと判断できるものを、正しく校訂して本文にすることは、作者の意図を尊重する上で必要不可欠のことである。そうした本文校訂の責任は、きわめて重く、かつ多くの困難をともなうものであることを、読者も、編纂者も、出版社も、ここいらで再確認していただきたいと、つくづく思う。


(11)以上が、かつての拙文からの約三分の二の抄出である。
 賢治は、上記引用中にもあるように、水田農業にとって、「夏の寒さ」と「旱魃(ひでり)」は、困ることの筆頭に考えていた。「穂孕期」に日照が不可欠であり、「ヒデリにケガチなし」と諺にあるとしても、それは「日照」のことで、苗代期・田植期の「旱魃」(往々水争いなども起こった)のことではない。「旱魃」の「恐ろしさ」に触れた箇所は、賢治の詩にも童話にも、あちこちに見られる。

(12)文理的にも、本文批判的にも明らかに書き誤りと判定される箇所を、「あの賢治さんが書いたものだから変えてはならぬ」とばかり、間違いをそのまま生徒に暗誦記憶させたり、碑に刻んで後世に遺したりするのは、上に述べたような事情をわきまえずに、すでに成り立たないことが明らかになっている所説(「ヒドリ=日傭取りの賃銭」といった、書き手のその時の意識には浮かんでもいなかったことを主張する説)になおもすがりついた、一知半解の不適切な扱いであり、ひいては賢治の営為の本質に対する冒涜にもなることを、あらためてここで強調しておきたい。

(13)是が非でも賢治が書いた通りに碑に刻むというなら、碑の裏の銘板に「『ヒドリ』は『ヒデリ』の作者の書き誤りであるがそのままにする」といった主旨の注記がなされることが建碑者の、後世に対する責任として不可欠だろう。児童・生徒に教える時もはっきり「ヒデリ」と教えるべきである。そして、どうしても言いたければ「じつは賢治はここをヒドリと書き誤っているのだよ。賢治だって書き間違いをするんだねぇ」と付言する程度にするべきだと思う。
(顧問 神奈川県川崎市)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ヒデリ」の文献的根拠              入沢康夫

(14)先ごろ「会報第30号ヤナギラン」に《「ヒデリ」──「ヒドリ」問題について》という一文を載せていただきましたが、その中で「ヒドリをヒデリに校訂する立場には、確かないくつもの証拠がある」と書きましたところ、そのいくつもの証拠をもっと示せというお声がかかりました。そこで、やや長文に及びますが、上記拙文では紙面の関係で挙げられなかったものを(気がついた限りで)童話と詩に分けて順不同に列挙してみます。(丹念に拾えばもっと増えると思います。)
________________________________________
(15)
●童話「双子の星」
1. 私共の世界が旱(ルビ「ひでり」)の時、痩せてしまった夜鷹やほととぎすなどが、
________________________________________
(16)
●童話「〔或る農学生の日誌〕」
1.高橋君は家で稼いでゐてあとは学校へは行かないと云ったさうだ。高橋君のところは去年の旱魃がいちばんひどかったさうだから今年はずゐぶん難儀するだらう。それへ較べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫れたのだからいゝ方だ。〔注:「半分でもいくらでも」は「例年の半分かそこら(半分程度)だったにしても」の意であろう〕
2.耕地整理になってゐるところがやっぱり旱害で稲は殆んど仕付からなかったらしく赤いみぢかい雑草が生えておまけに一ぱいにひゞわれてゐた。/やっと仕付かった所も少しも分蘖せず赤くなって実のはいらない稲がそのまゝ刈りとられずに立ってゐた。 
3.あんなひどい旱魃が二年続いたことさへいままでの気象の統計にはなかったといふくらゐだもの、どんな偶然が集ったって今年まで続くなんてことはない筈だ。気候さへあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損害を恢復して見せる。
4.水が来なくなって下田の代掻ができなくなってから今日で恰度十二日雨が降らない。いったいそらがどう変ったのだろう。あんな旱魃の二年続いた記録が無いと測候所が云ったのにこれで三年続くわけでないか。
________________________________________
(17)
●上記作品の創作メモ  創26「黎明行進歌」。
1.《父は水田一町一反畑地一町三反と、林三反歩原野一反歩母屋外三棟を有する自作農。前二年続ける旱害のため総て抵当に入れり、》 
2.《[一九二五年]六月 旱害 七月 旱害》 
3.《[一九二六年]六月 旱害》
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(18)
●童話「〔グスコンブドリの伝記〕」
1.ところがその次の年はちゃうどオリザを植え付けるころから雨がまるで降らず毎日そらはまっ青で風は乾いてゐましたのでどこの沼ばたけもまるで泥がかさかさに乾いてしまひだんだんひゞも大きくなってきました。ブドリたちは一生けん命上流の方から水を引いて来やうとしましたがどこのせきにも水は一滴もありませんでした。主人もまるで幾晩も睡らないで水を引かうとしてゐましたがやはりだめでした。
2.たびたびの寒さだの病気だの旱魃だののためにいつの間にかもう沼ばたけも昔の三分一になってしまって
3.雨はちょっと降りさうになっては何べんも何べんも晴れてしまふのでした。みんなは毎日そらをながめてため息をつきました。/「さあブドリ君、たうたうひどい日照りになった。(下書部分)
4.ところがそれから二年たってまた旱魃がやってきました。毎日毎日そらは乾いて沼ばたけはあっちもこっちもまたひゞがはいったといふやうなしらせは毎日新聞へ出てきました。(下書部分)
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(19)
●童話「〔グスコーブドリの伝記〕」(「児童文学」発表形)
1.ところがその次の年はさうは行きませんでした。植ゑ付けの頃からさつぱり雨が降らなかつたために、水路は乾いてしまひ沼にはひびが入つて。秋のとりいれはやつと冬ぢゆう食べるくらゐでした。来年こそと思つてゐましたが次の年もまた同じやうなひどり(「ひどり」は発表誌のママ)でした。    
2.クーボー大博士は(中略)そしてしまひに云ひました。/「もうどうしても来年は潮汐発電所を全部作つてしまはなければならない。それができれば今度のやうな場合にもその日のうちに仕事ができるし、ブドリ君が云つてゐる沼ばたけの肥料も降らせられるんだ。」「旱魃(ルビ「かんばつ」)だってちつともこわくなくなるからな。」ペンネン技師も云ひました。
3.「(前略)雨もすこしは降らせます。/ 旱魃(ルビ「かんばつ」)の際にはとにかく作物の枯れないぐらゐの雨は降らせることができますから、いままで水が来なくなって作付しなかつた沼ばたけも、今年は心配せずに植え付けてください。」 (火山局ポスター )
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(20)
(以下、詩に関しては、確認の便宜を図って『新校本全集』の巻数頁数を付記します)
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(21)
●詩「一八一 早池峰山巓」16、17行
 九旬にあまる旱天(ルビ「ひでり」)つゞきの焦燥や/夏蚕飼育の辛苦を了へて (第三巻 本p.111 校p.272)
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(22)
●詩「三五六 旅程幻想」初行
 さびしい不漁と旱害のあとを (第三巻 本p.164 校p.397)
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(23)
●詩「二五八 渇水と座禅」6行?11行
 さうして今日も雨は降らず/みんなはあっちにもこっちにも/植ゑたばかりの田のくろを/じっとうごかず座ってゐて/めいめい同じ公案を/これで二昼夜商量する…… (第三巻 本p.221 校p.536)
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(24)
●詩「三一七 善鬼呪禁」末尾より6行と同5行
 どうせみんなの穫れない歳を/逆に旱魃(ルビ「ひでり」)でみのった稲だ (第三巻 本p.141 校p.340)
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(25)
●詩「一〇二二〔一昨年四月来たときは〕」最終行
 そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た (第四巻 本p.55 校p.110)
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(26)
●詩「一〇七六 囈語」後半部
 せめてもせめても/この身熱に/今年の青い槍の葉よ活着(「活着」にルビ「つ」)け/この湿気から/雨ようまれて/ひでりのつちをうるほせ (第四巻本p.264 校p.327)
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(27)
●詩「一〇七六 病中幻想」最終連
 せめてはかしこ黒と白/立ち並びたる積雲を/雨と崩して堕ちなんを (第七巻 本p.235 校p.613)
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(28)
●詩「発動機船 一」9?12行
 ……あの恐ろしいひでりのために/みのらなかつた高原は/いま一抹のけむりのやうに/この人たちのうしろにかゝる……(第五巻 本p.10 校p.9)
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(29)
●詩「毘沙門天の宝庫」下書稿初形22行以下
 旱魃(ルビ「ひ[ど→(削除)]でり」と手入れしてある)のときあいつが崩れて/いちめんの雨になれば(中略)
 大正十三年や十四年の/はげしい旱魃のまっ最中も/いろいろの色や形で/雲はいくども盛りあがり/また何べんも崩れて暗くひろがった/けれどもそこら下層の空気は/ひどく熱くて乾いてゐたので/透明な毘沙門天の珠玉は/みんな空気に溶けてしまつた (第五巻 校p.48?49)
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(30)
●詩「毘沙門天の宝庫」本文22行以下
 もしあの雲が/「旱(ルビ「ひでり」)のときに、」/人の祈りでたちまち崩れ/いちめんの烈しい雨にもならば/(中略)/大正十三年や十四年の/はげしい旱魃のまっ最中も/いろいろの色や形で/雲はいくども盛りあがり/また何べんも崩れては/暗く野原にひろがった/けれどもそこら下層の空気は/ひどく熱くて乾いてゐたので/透明な毘沙門天の珠玉は/みんな空気に溶けてしまつた/(第五巻 本p.50?52)
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(31)
●詩「旱倹」本文第二連
 野を野のかぎり旱割れ田の、白き空穂のなかにして、/術をもしらに家長たち、むなしく風をみまもりぬ。 (第七巻 本p.80   校p.252)
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(32)
●詩「〔歳は世紀に曾って見ぬ〕」 3-4行
 人は三年のひでりゆゑ/食むべき糧もなしといふ  (第七巻 本p.181 校p.535)
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(33)
《まとめ的追記》 
 以上に列挙しましたように、「旱魃(ひでり)」、「旱魃(かんばつ)」、「旱(ひでり)」「ひでり」といった語は、賢治の書き遺したものの中では、きまって、「困ったもの」「つらいもの」「恐ろしいもの」「せめて、涙とか、自分の身熱から生ずる汗でもって、ほんの少しでも渇きをうるおしたいもの」といった負のニュアンスで出て来ます。
(これに反し、日雇い労働の辛苦のニュアンスをこめた「ひどり」という語は、あれほど農家や農作のことに言及している賢治の莫大な文中(作品・書簡・雑纂等、現在知られているすべてを含めて)には、ただの一箇所も見付かっていません。「葬式」「肥取り」などの意味でも、もちろんです。)
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(34)
《付録》
「ヒドリ」→「ヒデリ」の校訂に対する、論難と反駁(「ビジテリアン大祭」ふう)
論難者A :手帳に書かれた、この「雨ニモマケズ」のいくつかの箇所で賢治は字句の手直しをしている。「ヒドリ」が誤記なら、賢治はその手入れの際に気がついて訂正した筈ではないか。
駁論者A :これらの手直しは筆記具・筆致も同じで、おそらく皆、書きながらの直しであり、後日見直しての手入れはされていない。同様の誤字の例は、たとえば同じ手帳の十数頁あとの70頁に書かれた「諸仏ニ報ジマツマント」にも見られる。その前後にいくつかの手直しや抹消が見られるが「マツマント」は「マツラント」に訂正してない。
論難者B :同じ手帳の近くの頁に記された劇のメモ「土偶坊」中では「ヒデリ」とあり、こんな近くで同じ語を書き誤るはずがない。
駁論者B :賢治の草稿類では、同じ紙葉上や次の紙葉上に同じ語句が繰り返し出てきて、そのうちの一つだけが書き誤りになっていることさえ、ままあることだ。むしろ近くにヒデリがあることは、ヒデリへの校訂をバックアップしているともいえるのではないか。
論難者C :詩「善鬼呪禁」に「旱魃でみのった稲」とあるが。
駁論者C :前後をよく読むと「その歳はその田だけがみのって、他のみんなの田は収穫がなかった」のである。
論難者D :ヒドリ=日手間取り説の創唱者は賢治の教え子であり、多年賢治顕彰に力をつくしてきた、秀れた人格者で、そういう人の判断は何よりも優先すべきだ。
駁論者D :一つの説の妥当性有効性は、その説の創唱者の人格や経歴によって左右さるべきものではない。これは言うまでもないことだ。
論難者E :あれほど執拗に推敲を繰り返し、言葉を選んだ賢治が、文字を書き誤るなどということがあるのだろうか。
駁論者E :校本全集の各巻巻末や新校本全集各巻の校異篇末尾にある「校訂一覧」を見れば、そこには本文で校訂した賢治の誤字が、何十も並んでいる。手入れの書込みの字句に誤字があることさえも、往々ある。
論難者F :とにかく賢治はヒドリと書いているのだから、他人が勝手に変えず、そのままにすべきだ。
駁論者F :十分な根拠に立って書き誤りと判定されたものは、世に出すときに正しく改めなければならない。さもなければ、賢治の真意は世間に誤って伝えられ、あるいは混乱を呼び、(ちょうどこの問答のような)無用の議論や無用の解釈を生んだりもするのだ。〔満場苦笑〕
論難者G :な、な、何が故に、「ヒデリにケガチなし」という、昔からの諺をないがしろにするのか。
駁論者G :まあ、まあ、落ち着きたまえ。すこし詳しく話してあげよう。いかにもその諺は大局的には正しい。手近な百科事典の「日照り」や「干魃」の項目には、「日本には古来『日照りに不作なし』という諺があり、これは稲作では雪解け水なども期待できるから、多照の年はむしろ米の豊作になることが多いことをいったものである(根本順吉)」とか、「日本は周囲が海であり、比較的湿潤な気候であるので、干魃の年は局地的にはひどい所があっても、イネなどは全般的には豊作な所が多くこのため『日照りに不作なし』などといわれる。(安藤隆夫)」などと、説かれている(『スーパー・ニッポニカ2002』)。しかし、この諺は夏の冷害がもっとも恐ろしい東北地方全体とか岩手県全体の作況についてなら、ほぼ当たっているであろうが、もっと狭い個々の範囲・個々の水田についてまで一概に適用できないのは、上記安藤氏の「局地的にはひどい所があっても」という留保に見られる通りだ。それに、当面の問題は一般論ではなく、賢治が旱魃・旱害をどう感じ、どう受けとっていたかではないか。そして、それは、彼が書き遺した多くの作品から、すでに一目瞭然ではないか。ここに、「ヒドリ=ヒデマ取リ」説を言い出された当のお方が自説を主張するために書かれた文章(「イーハトーブ短信」12号所収)があるが、この中に聞き書き引用されている篤農家の古老の言葉にさえも「田に水を引くことの苦労は毎年のことだが、日照りの時の苦労は格別で夜もろくろく眠らず水口番をすることが多かった。だから百姓同士の水引き喧嘩が絶えなかった。思い余って部落人が総出で神社に神楽を奉納して雨乞い祈願後に御神酒を頂いたことなどは忘れてはいない」という箇所があることを指摘しておこう。
以上
(なお、「ヒドリ」は「ヒトリ=一人」の誤記であるという意見につきましては、
http://www.kenji.ne.jp/why/review/review323.html
 に載せていただいた拙文をご参照いただければ幸いです。入沢追記)

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◆ここからは、入澤氏の論に対する私の疑問を展開致します。

(1)で、入澤氏は賢治が「ヒデリ」を誤って「ヒドリ」としたと結論付けています。
しかも、氏は反論のしようがない明確な学問的な根拠を述べたと言っているようです。
これは実に頼もしい文に出合って、私の疑問にさっそく、楔を打って貰えそうです。

(2)は、入澤氏の明確な論稿を読んだ人は「ヒデリ」で一致する筈だと述べている。
それにも係わらず、入澤氏の論に批判的な人が少なからずいるようだと、おっしゃる。
批判的な人たちは、トンデモナイ弊害を引起す原因になると考えているのでしょうか。
そのトンデモナイ人たちのせいで入澤氏が心を痛めているとしたら大変です。
これはトンデモナイ人たちに正しい論を易しく教え諭してあげて頂きたいものです。
私はそのどちらに与する立場でもないけれど、誤った論は正されねばならないと思う。。

公平な立場で言えることは、「ヒドリ」「ヒデリ」の論を比べる必要があると思う。
明確な論を述べたのであれば、読解力があれば正しいと解かるはずですし、
誤った論を述べたのであれば、人々を間違った方向にミスリードするでしょう。
これはやっぱり、入澤康夫氏の論稿を丁寧に読ませて頂かなければなりません。

(3)では、私も・他人も、考えることは同じと知って、安心しました。
入澤氏が過去に述べた明確な根拠を今一度、述べてくださると書いてあります。
これはやっぱり、私が信頼したい入澤康夫氏であるという意味です。

(4)では、物書き一般は誤りを為す生き物であると述べておられるようです。
その意見には大いに賛成こそすれ、私としては批判するつもりはありません。
確かに宮沢賢治も生き物でありますから、書き間違いは起こるかも知れません。
◆そのことで入澤氏がなにを仰りたいのか、私の能力では判断がつきません。
その訳は、一般論をもって賢治が書き誤ったとするのは乱暴すぎるからです。
「物書きも書き誤る」というフレーズを生かす途は、賢治を庇う場合でしょう。
すなわち、賢治が書き誤ったと結論付けられた時に「彼も人間だよ」で済む。
しかし、入澤氏は賢治が誤ったという結論をまだ出せていないのです。
その段階で「物書きも書き誤る」という言い方をする入澤氏を私は理解できない。

(5)では、宮澤賢治の間違い癖を開陳していらっしゃいます。
つまり、物書き一般に通じる癖を、(5)では賢治に特定して強調している。
入澤氏は賢治が実に間違いの多い人間だったと証明しつつあります。
「賢治は偉い先生が指摘するとおり間違っていた」のでしょうか。
入澤さんには、愚かな賢治だと人々に思わせるお考えはないと思います。
それゆえに、私には(4)(5)のフレーズの意味が理解できないのです。


(6)の論稿については、要約して箇条書きにします。
a.入澤氏は、十年間の書き誤り論議で顕著な「ヒドリ」騒動であると述べる。
b.手帳に記された「雨ニモマケズ」は作品かメモか祈りかと思っておられる。
c.そのフレーズが世上の話題に上って・持てはやされ・広く知れ渡っている。
d.賢治は本当に「ヒデリ」を「ヒドリ」に書き間違っている。
e.出版された本は全て「ヒドリ」説を採らずに、「ヒデリ」で載せている。
f.原本を観た人は「ヒドリ」が「ヒデリ」に訂正された事を知った筈である。

a)で入澤氏が何をおっしゃいたいのか、その意図が分かりにくい。
「ヒドリ」と書いてある原本を「ヒデリ」に直さなければ騒動は起きません。
そうすると、騒動を起したのは入澤氏たち「ヒデリ派」という事になる。
しかも「ヒデリ」に直した「ヒデリ派」の責任者の名前は明らかにされない。
つまり、騒動を起したくない「ヒデリ派」はそっと訂正したかったのだろうか。
そっと訂正したかったのが本音なら、(f)は「ヒデリ派」の泣き事に聞こえる。
結局、入澤氏を理解したい私だが、(a)で何を言いたいのか不明なのです。

b) 「雨ニモマケズ」は作品か? 自戒自省のメモか? 祈りか?
これについては、私も同じ方向で受け留めています。
完成した「作品」であれば発表していたかも知れませんね。
賢治が「自戒自省」するフレーズを並べたのかも知れません。
記載された「菩薩・仏」を賢治は生きる道標としたのかも知れない。
詩というものは、心の発露ですから、信仰心が顕れるのは当然でしょう。
私は「雨ニモマケズ」は未完の作品だったように思っています。

c)未完の作品が世間の評判になり・持てはやされているのかも知れません。
しかし、未完であっても日本人の心を大きく捉えたのは間違いありません。
否、未完の菩薩である凡人、賢治の生き様が人々の心を打った気がする。
即ち、「人口に膾炙した章句」に見えて、人間の本質を突いた詩に思える。

d)「a・b・c」と述べてきて唐突に、賢治が書き誤ったという意味が分らない。
強圧的に「誤りだ」と怒鳴ったところで、誤りの証明にはなりません。

e)過去の出版本が入澤さんの正当性の根拠になるでしょうか。
文学者たる立ち場の入澤さんが、素人みたいに記載事実を根拠になさいますか。
これまでの所、入澤さんは「ヒデリ」だと云うだけで、根拠を示していません。

f)については、(a)でも触れましたが、別の視点も重要です。
つまり、「ヒデリ」と書かれた「詩碑」や出版物は数多くある訳です。
原本を見ていない人のためには全ての「詩碑」に「ヒドリ」の注釈が必要です。
よもや、入澤さんは「原本なんか見る必要はない」とは仰いますまい。
かりにも、そうなら、入澤さんは「自語相違」になるのではないでしょうか。


(7)入澤氏の論、ここでは二点に分けます。
g)入澤氏は「ろくに考えもせず」「新説」「ジャーナリズムの需め」と述べる。
入澤氏は方言「ヒドリは日雇いかせぎ(の賃金)」説は、誤りとする立場です。
「原文どおり」を誤りとするには、明確なる誤りの証明をしなければならない。
原文は「ヒドリ」であり、入澤氏には「ヒドリ新説」説の証明責任も生じます。

そもそも、詩を読むとき、大概の人は「ろくに考えもせず」に読みます。
入澤氏も「捻くり回しながら読むのが文学者」等とお考えではないでしょう。
因みに俳聖・芭蕉は「句整はずんば舌頭に千転せよ」(去来抄)と教えますが、
詩人が言葉を選び採るときは「意味だけが重要」とは絶対に言えません。
深くふかく考えた末の「ヒデリ」書き変えでなければならないし、証明責任も生じる。
然るに入澤氏はココに至るまで「ヒデリ」の正当性をお述べでありません。
あろう事か、「ジャーナリズムの需め」とまで言い切った責任は重大です。

h)私たち一般が知る「雨ニモマケズ」は書き変えられた「ヒデリ」です。
・これは原文を知らない者の罪でしょうか?
・積極的に原文の「ヒドリ」を知らせなかった者の罪でしょうか?
・入澤氏は「不当に」と述べるが、それは文学を論じる正しい態度でしょうか?
・新聞・雑誌の「雨ニモマケズ」に、注釈・ヒドリは必ず載っているでしょうか。
・全国の「雨ニモマケズ」詩碑に、注釈・ヒドリは記載されているでしょうか。
原文「ヒドリ」ではいけない…とした根拠が薄弱では困ったものです。

全ては、「ヒドリ」を「ヒデリ」に書き変えた所に始まっています。
宮澤賢治の真意は「ヒドリ=日傭いかせぎ」でなかった証明がいちばん良い。
書き変えた正当なる根拠を明らかにしなければ、世の混乱を徒に招くのみ。
作品を部分的にも書き変えるなら、誰にも納得いく説明は当然欠かせない。
しかも、書き変えた事実を知らない人への配慮・責任感が欠けては困る。


(8)入澤康夫氏の論稿(1)~(7)に「ヒデリ」の正当性の証明はなかった。
逆に、「ヒデリ」に疑問を持つ人たちへの証明なき非難の言葉が目立ちました。
それは(1)~(7)の文を読み直して頂けば、どなたにも解かることで、
その入澤康夫氏の感覚で、(8)では「宮澤賢治」の人間が述べられている。
この入澤氏の文の中にも、宮澤賢治の真実は見えているようです。

入澤氏は「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらないとする。
すると、「ヒドリ」では詩にならないのでしょうか…これは興味のある指摘です。

入澤氏は大要・次の資料を引用して賢治を決めつけるが、それは正しいだろうか。
・賢治は、「夏の寒さ」と「ひでり」を、農家が困ることとしている。
・「いちばんつらいのは夏の寒さでした。そのために幾万の人が飢え幾万のこどもが孤児になったかわかりません。」「それは容易なことでない。次はどういふことなのか。」
・「次はひでりで雨の降らないことです。幾村の百姓たちがその為に土地をなくしたり馬を売ったりしました。」
・「毘沙門天の宝庫」では、「旱魃」にルビをつけようとして誤りに気付き、「ど」を消して、「でり」と改め
・生前発表形でも、旱魃の意味の「ひでり」が「ひどり」となっているところがある。

入澤氏が出してきた資料から確実にいえる真実は何でしょうか?
すなわち、宮澤賢治の脳裏に「ヒドリ」があったということではないでしょうか。
冷夏や旱(ひでり)続きで、農民は働く場所・住む場所を失くした事もあった。
そんな農民は今日の命をつなぐために「涙を流して」娘を手放したかも知れない。
娘が『児童手当』をもらえていたら、身売りせずに済んだかも知れないでしょう。
入澤氏が出した賢治の資料から、私にはこのようなシーンが浮かびます。

いっぽう、入澤氏から引出されたモノは「賢治は書き誤る傾向があった」でした。
ひとつの資料を観て、死刑判決を下す判事がいて、無罪判決を下す判事がいる。
足利事件の菅家利和さんを有罪にした証拠採用は東大の権威に依るものでした。
大胆な「書」の大家であっても、マトモな楷書を書けると考えるべきですし、
ピカソだって、デッサン力はピカイチなのです。
青の時代のピカソの絵をみて、ピカソは青い絵しか描けないと考えるべきでない。
しかも、ピカソは青の時代に留まらず、抽象画へと進化しました。

また、宮澤賢治は成長する能力がない思考停止状態みたいな言い方は遺憾です。

如何でしょうか? お教え願いたいと存じます。
入澤氏の「宮澤賢治は間違いボウズ」の証拠は採用されるべきでしょうか?


(9)では、入澤氏が過去に述べた経緯をつづっているようです。
入澤氏は、その内容は「会誌・賢治研究」に載ったとおっしゃる。
それと略・同じ内容を、私たちは今・こうして読んでいるらしいのです。

入澤康夫氏の文、既に読み終えた部分で注目すべきは一点のみでした。すなわち、
『(8)「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらない』です。

この部分は先に述べましたように、「ヒドリ」で意味は完ぺきに通じています。
「ヒデリ」で家や田畑を失うとは限らない、それでも旱で泣く人はいるかも知れない。
だけど「ヒドリ」の状況に追い詰められると、誰もが「涙を流す」のでしょう。
賢治の中で「ヒデリ」は苦しいけれど、「ヒドリ」は一家離散に直結したと思う…。

如何ですか? 私のこの想像は、ぜったいに有り得ないモノでしょうか?
実際「有り得ない」というのが、『賢治研究』の明快な結論であって欲しい。


(10)ここでも入澤氏の論調は私の理解の範囲を超えているようです。
入澤氏は「どんな物書きでも書き誤りはする」と述べられる。
それならこそ、推敲に推敲を重ね・尚それでも誤りは起ると知るべきです。

賢治の「意図」を己の掌におさめられると考えるなら傲慢ではないだろうか。
作者の意図を己の経験値で量るのは作者を尊重する行為でしょうか?
本文校訂の責任の重さを知って、原文と異なる詩碑等にはその旨を載せるべきです。

結局、「雨ニモマケズ」に関して、宮澤賢治に些かの落ち度も見えない。
宮澤賢治の詩を改編した人物こそが非を認めて改めるべきです。
入澤氏の(10)の論旨を証拠採用したとき、私のこの結論に至りました。
私の結論が間違いである事の証明がなされれば幸いです。

尚、次のフレーズですが、トンデモナイ考えちがいをなさってる気がします。

>(本文校訂は)多くの困難をともなうものであることを、読者も、編纂者も、出版社も、ここいらで再確認していただきたいと、つくづく思う。


(11)入澤氏が述べたいことの三分の二は(10)迄に終えられたようだ。
つまり「反論のしようがない明確な学問的な根拠」の三分の二が(10)迄らしい。
だが、入澤氏が既に述べた根拠は只一つ、(8)の文脈のワンフレーズのみでした。
曰く、『「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらない。』

穂孕期の冠水は水稲に良いものではないでしょうが、今は問題ではありません。
水田農業に「夏の寒さ」と「旱魃ひでり」は、困ることの筆頭かも知れません。
とは言え、水争いも解決した時は笑って済ませられそうです。
すると、ヒデリの本当の恐ろしさは「ヒデリそのモノではない」となります。
それについては、(8)(9)で具体的に述べたばかりです。
「ヒドリ」の立場に追いやられた人の胸中を思えば、痛ましいばかりです。


(12)私の推測どおりなら、賢治の書き誤りとする判定は勇み足になる。
「現代日本を代表する詩人」「芸術院会員」の校訂に口は挿めぬ」とか、
「高村光太郎の揮毫により建立した賢治詩碑は「ヒデリ」である」とばかり、
間違いをそのまま生徒に暗誦記憶させたり、碑に刻んで後世に遺したりするのは、上に述べたような事情をわきまえずに、すでに成り立たないことが明らかになっている「ヒデリ」説や、「ヒドリ=日傭取りの賃銭」とする賃銭に重きを置き過ぎるあまりに賢治の真の思いから乖離してしまった主張になおもすがりついてはならないと思うのです。

賢治が常に念頭に置いていたのは、「ヒドリ=追い詰められ・路頭に迷い・一家離散し・離れ離れになった家族を思って流す涙」と、ここに辿りつくのは詩人なら当然であろうと思うのは私の感覚が狂っているのでしょうか…。
そうであれば、「一知半解」の者とは正しく私のことでありましょう。
「雨ニモマケズ」を不適切な扱いにせず、ひいては賢治の営為の本質に対する冒涜にならぬ為にもあらためてここで強調して、明確なる入澤康夫さんの御説明をお願いしたいと思います。


(13)是が非でも賢治は間違いであり、高名な高村光太郎氏に倣って「ヒデリ」と碑に刻むというなら、碑の裏の銘板に「『ヒドリ』を『ヒデリ』に直した正当性の注記がなされることが建碑者の、後世に対する責任として不可欠でしょう。

児童・生徒に教える時も原詩は「ヒドリ」であるとはっきりと教えるべきですし、そして、どうしても言いたければ≪「じつは賢治はここをヒドリと書き誤っているのだよ。賢治だって書き間違いをするんだねぇ」と付言する程度にするべきだと思う≫という見解として、付け足すべきではないでしょうか。


14)~(33)で、「ヒデリ」に賢治が心を痛めた事が想像できます。
ヒデリ、ヒデリ、ヒデリ…何百遍、何万遍、舌頭に転がしたことでしょう。
そして次のように、入澤氏が提供する資料(16)~(19)は証言しています。

(16)それへ較べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫れたのだからいゝ方だ
(16)耕地整理になってゐるところがやっぱり旱害で稲は殆んど仕付からなかった
(16)あんなひどい旱魃が二年続いたことさへいままでの気象の統計にはなかった
(16)どんな偶然が集ったって今年まで続くなんてことはない筈だ
(16)気候さへあたり前だったら今年は…いままでの旱魃の損害を恢復して見せる。
(18)主人もまるで幾晩も睡らないで水を引かうとしてゐました
(19)秋のとりいれはやつと冬ぢゆう食べるくらゐでした。
(19)来年こそと思つてゐました
(19)もうどうしても来年は潮汐発電所を全部作つてしまはなければならない
(19)(発電所が)できれば今度のやうな場合にもその日のうちに仕事ができる
(19)沼ばたけの肥料も降らせられるんだ
(19)旱魃(ルビ「かんばつ」)だってちつともこわくなくなるからな
(19)雨もすこしは降らせます
(19)旱魃の際にはとにかく作物の枯れないぐらゐの雨は降らせることができます
(19)いままで水が来なくなって作付しなかつた沼ばたけも、今年は心配せずに…
(19)あんな旱魃の二年続いた記録が無いと測候所が云った

これ等の資料のどこに弱気な農民の姿が見えるでしょうか。
私の目には、大いなる楽観主義で前向きに取り組む農民の意気込みが見える。
「ヒデリ」如きでくじけて泣くような弱虫に、百姓仕事が勤まるだろうか。
どんな「ヒデリ」にも耐えて、打開策を講じて生きる懸命な農民たちなのです。
極限に置かれても、なお、次のように強く祈る姿が見える。

(16)いったいそらがどう変ったのだろう。あんな旱魃の二年続いた記録が無いと測候所が云ったのにこれで三年続くわけでないか。
(25)そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た
(26)この湿気から/雨ようまれて/ひでりのつちをうるほせ

その祈りも届かず、打ち続く「ヒデリ」に、農民の生活環境は激変します。

(16)父は水田一町一反畑地一町三反と、林三反歩原野一反歩母屋外三棟を有する自作農。前二年続ける旱害のため総て抵当に入れり
(18)みんなは毎日そらをながめてため息をつきました。

もはや、ため息を吐くしかない所に追い込まれます。そして、
(22)さびしい不漁と旱害のあと、
(23)みんなはあっちにもこっちにも/植ゑたばかりの田のくろを/じっとうごかず座ってゐて/めいめい同じ公案を/これで二昼夜商量する…

商量する:売り手と買い手が腹をさぐり合い・値踏みし・相談し・交渉する。
なにを交渉しているのか、私は解かりませんけれど…。

(28)で入澤康夫氏は次の詩を紹介なさいます。

●詩「発動機船 一」
 …あの恐ろしいひでりのために みのらなかった高原は
 いま一抹のけむりのやうに この人たちのうしろにかゝる…
 赤や黄いろのかつぎして 雑木の崖のふもとから
 わづかな砂のなぎさをふんで 石灰岩の岩礁へ
 ひとりがそれを運んでくれば ひとりは船にわたされた
 二枚の板をあやふくふんで この甲板に負ってくる

「この人たちのうしろにかゝる…」借金のカタに取られたのは?
恐ろしい「ヒデリ」を乗越えた親といえども、
娘たちのことを思っては涙を流すに違いない。


さて、入澤康夫氏の資料をここまで読み進んできて、私の結論は出たようです。
入澤康夫氏の論稿を読み間違えていなければ、私の危惧どおりでありましょう。
宮澤賢治の書き間違いではないとは、決して断定するものではありませんけれど、
「ヒデリ」に改変しなければならない根拠は入澤氏の論稿のどこにも見つかりません。

すなわち、「ヒドリ」は誰かの好み・感覚で変えられたという事になります。
その誰かが宮澤賢治を軽くみて手直ししてあげたとまでは申しませんけれど…。
賢治の中で「ヒドリ」は重いフレーズだったのか、軽いフレーズだったのか?
私の疑問は、あくまでも入澤康夫氏の論稿に起因したものと申し添えておきます。

ここまで読み終えた今、私が感じるのは、
宮澤賢治に関して予備知識を持たない私が「ヒドリ」の重みを感じたのは入澤氏の論稿に依ります。
ゆえに、これらの資料をまとめて下さった入澤康夫氏の貢献は大きいと思いますし、感謝申します。

拝。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【入澤康夫氏のプロフィール】
入澤 康夫(いりさわ やすお)氏は1931年11月3日生れ・島根県松江市出身の詩人、フランス文学者、日本芸術院会員。

・東京大学文学部仏文科卒業。1955年、在学中に詩集「倖せ それとも不倖せ」を出版。詩論集を多く発表し、実作のみならず理論面でも多大な影響を与える。宮沢賢治、ネルヴァル等の研究でも名高い。フランス詩の翻訳も行っている。2008年芸術院会員。

(主な経歴)
明治学院大学助教授
東京工業大学助教授
明治大学文学部教授
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★★★
上記、氏のプロフを拝見するに輝かしい経歴です。
明解な解答を論に知ることが出来ると考えたのですけれど、結論が死刑と無罪に別れたことは残念です。

テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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楢原幹雄さんへ

> 早速私の投稿を掲載していただいたことを感謝します。

楢原幹雄さんの受け留めかたをお聞かせいただいて、とても感謝しています。
世間の常識と比較して己の感覚がどの辺に位置するかは、重要な関心事です。

> 夫婦喧嘩のごときものに感じるので,立ち入りません。

著名な入沢康夫氏と無名の私を同等の立場に見立てていただいて、恐縮しています。
もっとも、入沢氏本人も「一つの説の妥当性有効性は、その説の創唱者の人格や経歴によって左右さるべきものではない。これは言うまでもないことだ。」と述べておられますから、異存のない所でしょう。

それにしても「夫婦喧嘩」とは、これはまた巧い例えを引いて頂きました。
夫婦喧嘩の当事者の言い分をそれぞれ・公平に聞いたとき、妻には妻の理論があり、夫には夫の理屈がありますが、妻の理論を夫の理屈で裁定するところでは喧嘩は収まる気配をみせません。これは己を「夫」という高みに置いて「妻」を従うべき者・低い立場に置こうとする、即ち・優越的立場を維持しようとする夫の歪んだ感覚がひき起すところの罵り合いと言えましょう。

> 入沢氏は,たぶん,あなたのことをうるさいやつだと思って,
> 耳をふさいでいるであろうから,論争にはなりません。

リンゴが落ちたのは「引力が働いたから」だとする夫の言い分を広い心で受入れる優しい妻は争いを収める働きをしているのですけれど、リンゴが落ちたのは「熟して食べごろになったのね」とする妻の言い分の科学性に気づかない独りよがりの夫は争いを複雑にするしか能がないのでしょう。
そう考えるとき、妻の言い分に耳を貸さない愚かな夫との夫婦喧嘩から生れるものは憎しみだけなのかも知れませんね。
入沢氏の論調が、ロジックを無視する賛成者を集める方向で書かれているならば、原文の「ヒドリ」をそのままに読む人たちを無暗に非難して一人よがりで終ることは予想がつきます。

入沢氏は賢い夫として妻の科学性を受容れる人か、それとも、愚かな夫として妻の科学性から心を塞ぐ行動をとる人か、今の段階では私には判断がつきません。
ただ、楢原幹雄さんのコメント「入沢氏は耳をふさいでいるであろう」を読むかぎりでは、前向きな入沢さんではないと仰ってるのはよく解ります。

> 私は,あなたの感傷や趣味にも興味ありません,悪しからず。

わたしも自分自身の想像にこだわるものではありません。
宮澤賢治は「ヒデリ」を「ヒドリ」と間違えるとする根拠があまりにも無責任では、『宮沢賢治学会イーハトーブ』の人権感覚が同様に疑わしく思われて悔しい思いをなさるのではないでしょうか。

詩人とは「人の尊厳を最大に尊重する人」の謂いではないでしょうか。

御礼を兼ねて、コメントとさせていただきます。拝。

ノラ。

コメント掲載のお礼その他

早速私の投稿を掲載していただいたことを感謝します。
私は,あなたの入沢氏に対する批判は,犬もくわない
夫婦喧嘩のごときものに感じるので,立ち入りません。
入沢氏は,たぶん,あなたのことをうるさいやつだと思って,
耳をふさいでいるであろうから,論争にはなりません。
私は,あなた自身の主張とその論拠が知りたかったのです。
私は,宮沢賢治とその作品は敬愛していますが,この投稿に
おいては,そのような感傷は無用のものと思います。
私は,あなたの感傷や趣味にも興味ありません,悪しからず。

楢原 幹雄さんへ

1.何らかのトラブルにより,投稿文が失われた。
2.忙しいのでまだ処置していない。
3.気に食わない内容なので,無視jあるいは却下した。
4.検討中である。
などと想像しています。
2010-07-06(13:55) :

今、コメントは投稿できるようですけど、新しい記事の投稿は不可能な状況にあります。

それでとりあえず、新しい記事は次のアドレスに載せました。よろしければご覧ください。

http://shinshu.fm/MHz/54.32/archives/0000330643.html

楢原 幹雄さんへ

> ヒデリ/ヒドリ 論争についてあなたの主張をみました。

わたしの主張に目をとおしていただいた由、まことに幸いに存じます。

> 1.宮沢賢治の詩は聖典のごときもので,原文の訂正は
>   作者に対する冒涜である。 というご意見のようですが,
>   雨ニモマケズの詩は手帳に書かれたメモであって,
>   そこまで絶対視するのはいかがなものか。と思います。

楢原幹雄さんは、詩の本質をご存知ないようですけど、だれでも初めはそうですから問題ありません。
詩はすべて、詠み手の感覚で語られますけど、読み手の感覚で読まれることはご理解いただけると存じます。
聖典と採る人・憧れと採る人・座右の銘とする人、etc…。
訂正せずとも済む程度なら訂正せずに置いておいても好いのではないでしょうか?

「原文の訂正は作者に対する冒涜」とは考えませんし、過ちは正されなくてはならないでしょう。ただし、人を「過ちと決めつける場合」は読んだ人が納得できるようにロジックが通ってなくてはなりません。

「人は間違うものだ」「彼はよく間違う」 → だからといって、賢治は今回も間違ったことになりませんね。
そのような「ヘ理屈」で誰かを好き勝手に決めつけてならないのは当然なのです。

> 2.入沢氏の ヒデリが正しい という主張は強引であり,
>   承服できない。 という主張であるが,入沢氏はさておき,

楢原幹雄さんがどのように理解なさってらっしゃるか解かりませんが、重要ですので申しておきます。
入沢氏は ヒデリが正しい ヒドリは誤り とする主張をなさってます。その説が強引であってもロジカルであるかぎり、認めるのに吝かではありません。すなわち、入沢氏の強引さに生じた疑問ではなく、無理な文章と思えたところに生じた疑問なのです。
しかも、入沢氏を承服したいがために、私の「ヒドリ」を書いています。
そもそも「議論の目的」をどう捉えるかですが、「議論に勝つためでしょうか?」「相手をやっつけるためでしょうか?」「詩を楽しむためでしょうか?」「相手を傘下に入れるためでしょうか?」「賢治を解り合うためでしょうか?」
楢原幹雄さんのコメントに見えるのは「賢治を解り合おう」とする視点が欠けているように思えてなりません。
私は、入沢氏が選んだフレーズのなかに賢治の温かい人間性を感じ、そのことについても述べています。敵を騙して情報を得ようとするごとき・卑しい心根を入沢氏のなかに探す時間が私は惜しいのです。それが詩人の心です。

>   あなたが,ヒドリが正しい と思われる根拠を簡単に述べて
>   ください。

すなわち、この質問に対する私の答えは既に述べてしまったようです。
「ヒデリでなければならない」とするのに・ロジカルな説明を欠いては無責任の極みと申せましょう。
入沢氏の文章に対する私の疑問はいちいち述べているのですから、私の疑問が的外れであればそれを教えて頂くだけで入沢氏の文章の正当性は高まりこそすれ、卑しまれるものではありません。
入沢氏からいつまでもコメントが寄せられない意味は「誰の目にも私の疑問は的外れ」「私の疑問は尤も」のどちらかになりそうです。

今の私は、賢治の心の中が文字に見える訳でも・文字に見える段階にある訳でもありません。
どなたも「原文はヒドリ」で承知なさってらっしゃるのですから、そのまま、素直に読むのを「新説」とか「変わり者」とは申しませんし、私が「原文のまま」に読んだのを不思議に思われるとは、そのほうが私には不思議に思われます。

それはさて置き、賢治の脳裏に「ヒドリ」がこびり付いていた事は入沢氏の文章に明らかです。
「何故に」「ヒドリ」が賢治の脳裏にこびり付いたのか、そこに関心を持つのは当然ではないでしょうか。

さらに「ヒデリ」は農業に関わる人にとって・特別に関心の高い問題ですから、賢治の文に「ヒデリ」が多く見られるのは当然でしょう。

「ヒデリ」と言えば「ヒドリ」という位に、賢治の中でこの二つのフレーズは関連し合っているのも解ります。
それは余所者の私は憶測でしか述べられませんから、その憶測はまったくの的外れかも知れませんし、少しは根拠のあるところかも知れません。
少しでも根拠があるのであれば、賢治が「ヒドリ」を使ったことを否定できなくなります。つまり、無理に「ヒデリ」に改変するのは間違いでしょう。

詩碑の裏に改変した「経緯」を書き記すことは、賢治の真意を間違わないためにも必要であり、それは入沢氏の考えとも一致するといえそうです。

よろしければ、ご返事をいただけますか?

問い合わせ

先日ヒデリ/ヒドリ論争について,私の所感を投稿しましたが,
どうなっているか,状況をご連絡くださると幸いに存じます。
              記
1.何らかのトラブルにより,投稿文が失われた。
2.忙しいのでまだ処置していない。
3.気に食わない内容なので,無視jあるいは却下した。
4.検討中である。
などと想像しています。

ヒデリ/ヒドリ 論争

ヒデリ/ヒドリ 論争についてあなたの主張をみました。
1.宮沢賢治の詩は聖典のごときもので,原文の訂正は
  作者に対する冒涜である。 というご意見のようですが,
  雨ニモマケズの詩は手帳に書かれたメモであって,
  そこまで絶対視するのはいかがなものか。と思います。
2.入沢氏の ヒデリが正しい という主張は強引であり,
  承服できない。 という主張であるが,入沢氏はさておき,
  あなたが,ヒドリが正しい と思われる根拠を簡単に述べて
  ください。

本文末尾に移動しました

まことに勝手ながら、コメント欄に述べた私の意見・疑問は、
見やすいようにとの考えにより、本文の後ろに移動し、文も手直しいたしました。

ピンク色の「★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★」以降の部分です。

よろしくお願いいたします。。
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